2011年09月

草をかき分け、かき分け。。。


無肥料・不耕起での栽培、を本格的に。

左3列はカブや葉物関連を。きれいさっぱりに草を刈り取り、播種機でささっと播種を。
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右のヒモが見える部分は、枯れ草をかき分けながら大根の播種。
播種の後は、枯れ草を上にパラパラとふりかけて。

3週間ほど前にうっそうと茂った草を刈っていて、その刈り取った草の下はそれなりに湿り気がある。そしてまた、刈り取った草の根っこを掘り返してみると、根っこ廻りにまとわりつく土がいい具合に細かく粉砕?されているようにも見える。後は、その野菜が育つべき肥料分の具合がどのように作用するのか?始めたばかりの手法なので全くわからないが、実践と観察の中で、ひとつづつ構築できればいいな、と思いながら。

こちら、2回目の大根とブロッコリー・キャベツ群の今。
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軽く畝まわりを草刈りしたら、野菜の列がそれなりに見えるようになった。

まあ、ボチボチと実践中。
それにしても、また暑い。そして、なんだかセミが、それもミンミンゼミが鳴いている。不思議な感じ・・・。セミも季節感を無くしてしまったのだろうか?と思いながら、畑の中でいろいろと感じているこの頃。

一花にプチ旅行。。。

いろいろな予定を考えたら、この日程しかなかったので一泊二日の小旅行を。
車で高速で一時間ちょっとの松本、浅間温泉に。

8日の午前中は畑作業を行い、出発。
9日の夕方にも畑作業を行うために早めに帰ってきて・・・という感じで。

旅の目的は、「一花」という温泉旅館に行こう~、と思い立ったから。
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おやつに食べた手作りの「おやき」。天然酵母造り。
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初日のお昼ご飯は、信州そば。
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9日のお昼ご飯には、シャロムヒュッテという自然農法やパーマカルチャーを実践しておられるペンションに。
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マクロビロテックのランチと天然酵母の石釜でのピザ。
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シャロムヒュッテは自家用の畑も運営されていたので、畑も見学に。
たまたま農業スタッフさんがいらしたので、いろいろとお話を聞く。いろいろなお話の中に出てくる言葉は、「まあ、よくわかりませんけどね・・・」ということ。
まあ、つまりは、答えは一つではないし、何がどのように作用して良い出来、悪い出来になるのか?それはやはり人の手が加わる領域では答えが無い・・・ということだろう。常々、自分も同じように感じているので、うん、うん、と農業者同士でも会話を少し楽しんで・・・。


その他、松本市内の商店街も散策したが、やっぱり商店街というのはいい。何よりも秋の気配の「おひさま」と風を感じながら、ちょっとした会話を店主の方と交わしたり。そんな素朴な街歩きが楽しめる、良い雰囲気の街が作られている。ショッピングモールとは、やはり大きな何かの違いを感じる。心地よい。。。


ちょっとあわただしかったけど、秋の端境期に旅行ができてよかったし、思い出を一つ一つ積み重ねることがやっぱり生きていく時間の中ではとても大事に思う。

ニッポニア・ニッポン。。。

さだまさしさんの曲。
前夜(桃花鳥)。

ちょうど去年の今頃に、佐渡に旅行に行った。その時のブログ日記でも記したのだけど・・・。

 佐渡島の朱鷺(トキ)捕獲保護のニュースをモチーフとして、社会の問題に心を動かされながらも個人の幸福追求に流されてしまう人間の心の弱さを歌った作品。

82年の約30年も前にリリースされているのだが、今の日本社会を見事なまでに表してある。朱鷺の学術名は「ニッポニア・ニッポン」。この朱鷺の学術名にも大きな意味があり、そしてこの世からいなくなる・・・・とまで表現をしてあることに、本当の寂しさを感じながら、そして現実の流れが残念ながら・・・ある。。。
そして曲名は、前夜。
何の前夜なのだろうか?


「むしろ明日の僕たちの献立の事が気がかり・・・。

いやなことすべて切り捨てて、こんなに便利な世の中になったし・・・。

怖いねと振り返れば番組はもう笑いに変わっていた・・・。

・・・朱鷺が7羽に減ってしまったと新聞の片隅に・・・。」


目の前のことで精いっぱいに忙しすぎる自分たち。

30年ほど前と言えば、自分は中学生ぐらい。
この時にこの曲は聞いていたのだが、はっきり言ってその時は意味がわからなかった。今となっては、わかりすぎるぐらいにわかってしまう自分が寂しい。

朱鷺は、この曲がリリースされた時から約20年後に最後の一羽の日本原産種は姿を消した。。。すごく寂しい現実。。。


個人の幸福追求に流されてしまう人間の心の弱さ・・・・。


日本原産種の朱鷺がいなくなったことは、どのようにしても取り返しがつかない。外国から譲りうけた朱鷺を今育てておられるが、本質は違ってしまう。

命の尊さ、暮らしの中で何を大事にすべきなのかを問い直す・・・、それを30年も前から願っておられた曲。
今からでも全く遅くないだろう、そのように願う、強く願う。。。

残念、みつばち。。。

晴れ間の見える午前中、車で40分弱の所で有機農業を行う石毛さんの所に出向く。こちら石毛さんのブログ。
今日は日本ミツバチの採蜜を行うとのことで、助っ人?にはなりえないが、見学というか体験をさせていただきに・・・・。

・・・でも残念ながら、スムシという巣箱の中を食い荒らす虫の襲撃をうけていたらしく、あまり蜜は採れない様子だった。
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蜂の群生もどこかに移動してしまったらしく、「う~~~ん、また一から再開しなきゃ・・・、まっ、こんなことの繰り返しが農よね。。。」との言葉がナチュラルに出てくる農業者の二人の会話。。。
自分の所でもミツバチを飼いたいと思って、巣箱を6月頃に設置したがミツバチは入ってくれなかった。

まあ、何事も経験であるし、何事も初めを始めないとはじまらない。

今の時期は秋冬の準備の追い込み時期だし、雨続きの後の晴れの日なのに・・・とも思ったのだけど・・・・。でも、いろいろな経験を通じて知りえたいことはたくさんある。
はっきりいって収益にはならないことは多い、そっちの方が多いか?^^。
でも、その知識というか経験は、その日その時でしか味わえないものもある。それを大事にしたいと強く想うこの頃。
時間は過ぎていく。
過ぎていく時間の中で、やっぱりその日その時に、これをやりたい・・・、と想うことをやる方がこの先には強くつながる気がしてきた。
このような想いは、いつも想っているし、出会う人にもよく聞くし、逆に話しもする。でもなかなか実現が難しい・・・。
何を選択し、何を優先して採りいれるか?
何事にも無駄なことはないと思うし、やった経験を無駄にしないように心がけなければ・・・と思いながら。

昨今の、この社会システムがムチャクチャになっていることを感じている今は、やはりお金ばかりにとらわれずに過ごしてみたいと思っている。お金は、どこかでまた新たなアイデアを絞り出せば、また何とでもなるだろうと思う。その流れは過去数年の間に感じてきた。だから、なんとかなるだろう・・・という体感を元に、自分を信じてみようという想いを裏に秘めながら。


今月から10月上中旬を目途に、個人のお野菜ボックスはお休みさせていただいております。
申し訳ございません。
このいただいた時間の中で、自分がやりたいと思ってきたこと、この採蜜のような経験も含めて、栽培して出荷しての繰り返しではない部分を見たり聞いたりする時間を採っていますし、採ろうと思います。
 
農業に限らず、仕事と呼ばれるものは、その行っている仕事以外の知識や経験を得る時間も必要に思える。あまりにもその仕事の部分だけを見つめ過ぎると、逆に本質を見落としてしまうような気が、どこかではする。
不器用な自分は、中々それを両立させることが出来ない。。。

今の社会システムの中で、目の前の収益をどこかに置いてしまうのは不安が付きまとう。
今でも少し、かなり、不安はあるが・・・・。

でも、お金はなんとか頑張れば取り戻せる。・・・・気がする^^。
でも、経験はその日その時でしか得れないことの方が多い。・・・だろう。

そんな事を想いながら、ミツバチたちに出会いにいった。

徒然・・・・。

台風の直接的な大きな影響はなかったものの、連日の雨続きだった。
それも、ちょっと止んだなあと思って外に出た瞬間に降って~、・・・退散。
すると、また止んで・・・の繰り返し。

これが、ここ数日続いていた。
この中途半端な雨の時には、雨具が蒸れる、蒸れる。。。。
着ては脱ぎ、脱いでは着ての繰り返しで、ただでさえモチベーションが下がるのに、すっかりダウン。。。

こんな天気のせいなのか?体がむちゃくちゃだるくて、眠気が襲ってきて、お昼ご飯後などに限らず長めにいつの間にか寝入ってしまうこの頃。
 最近は、どうも体の調子が万全とはいえない。なんだか疲れを引きずるというか、少し作業をしては休憩後の再開が遅い感じで、なんというか持続力に難ありまくり。。。
 どうも心の中の葛藤が渦巻いていることが体に伝わっていることがわかる。
う~ん、いかん。


このところ、原発関連の記述が多くなってしまった。
放射能の脅威、脱原発・・・・などなど。

それにしても、この一連の原発系の中で、企業とは?、組織とは?・・・・などと考える。

はっきり言って、東電は社会不安をもたらしている企業であることは間違いがないはずである。過去、今でもそのはずなのだが、会社が不祥事を起こした場合には社会的責任や処罰などによって修正を科せられるはずなのに、どうもその雰囲気を感じないし疑問だらけだ。

疑問の筆頭は・・・・、

なぜライブカメラが一台だけなのか?

事故当初から疑問に思っているのだが、あれだけの事故が起こっているのに情報が正しく伝わっているとは思えない。だから、皆が疑心暗鬼になるし、放射能は大丈夫とかダメだとかが渦巻く。
地割れが起こって水蒸気が上がっている・・・との論調もある。
片や、原発は安定して修復の目途が立ち始めた・・・とか。
どっちなんだ?

単純に、ほんとに単純に考えて、事故の現場の復旧作業を含めて、ライブカメラを何台も設置して状況を開示すべきではないのか?と思う。
なぜ?それを行わないのだろうか?
無人のカメラでいいのである。
それを各所各所に設置して復旧の状況を知らせるべきだろうと思うが・・・・。
ただそれだけでも、全く違ってくるはずなのに・・・。

まあ、つまりは隠したいのだろうと思うしかない。

なぜ隠すのか?
それは、やはり後ろめたいのだろう・・・。

企業とか、組織とか、機能的なようで実は責任の所在がはっきりしないことがわかる。いくら企業のトップとかの責任を追及しようとしても、その企業を退職した時点で曖昧になっていく。



・・・・と、ブログ日記をここまで書いて、なんだか原発系のことを記すのがイヤになったので、今回は止めた・・・・・。

こんな気持ちに皆がなって、流されて行くのかもしれないなあ。
この渦に巻き込まれて無関心になっていくのだろうか?
人の思考って、なんなのだろう?

もう少し考え、感じよう。

本当の真実や、自分の行うべきこと、想うことを感じよう・・・・。

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