昨日の夜から朝方にかけて雨だったため畑に入れず、今日は大豆の選別に。
農協の選別機をお借りして。

右の投入口から投入すると・・・。
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少し傾斜がついた選別台を転がって・・・。
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右から左にかけてコロコロと転がって、キチンと転がるものは良品として、転がらないものは不良豆として。

大・中・小に分けられて・・・。
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今年の大豆は、この機械選別で192k分。
この後、冬の暇な時間をひたすら使って、手で選別をすることになる。

猛暑の影響が大きいと思えるが写真の中に写っている黒い不良豆も多く、きっと手で選別したら180k弱になるのではないか、という感じ。



午前中は事務系の作業として今年の売上げ集計などを。

今年は春先の寒波と夏の猛暑、またお休みをいただいて新婚旅行^^などに行かせてもらったのもあり、激減か?と思っていたら、なんとか一昨年と同じぐらいの売上げ額になっていた。
 本当にありがたいことと心から感謝。

去年は多くの作物が過去最高と呼べる出来もあって、それに比例して過去最高だった。
それと、ゆーしゅー^^な研修スタッフのイトーくんのおかげ?(こちら)????もあったのか?

今年はこの天候のウネリにうまく対応が出来ずに、それに比例して売上げも下がったのだけども、一昨年と同じぐらいだったことにはありがたく驚いた。
 集計をするまではかなり凹んでいたのだけど・・・・。

ほんとうに、ありがたいことです。

今年の売上げぐらいをいただけると、まあそれほど贅沢をするでもなく、でも極貧という感じでもなく^^暮していける感じ。

まだ集計が正確ではないが、今年はトラクターを買い足した以外のランニングコストは、8年ほどの蓄積の中であらかた揃った資材のおかげでそれほどかかっている気がしないので、良し!となるのではないだろうか?という気もする。

でも来年は、育苗ハウスのビニールの張替えや倉庫用ビニールハウスの増設、またその他の機械系もどこかで買い換えることになるだろうから、きっと費用はかかるはず。

単年度で集計をするのだけど、でもやはり5年単位ぐらいで物事を考えないといけないと思う。

そして何よりも「どこにどれだけの費用をかけるか?」というのが、自営業の一番難しいところだと感じる。
 費用をかけるべき所はかけないと継続できないし、かといって過剰な設備投資はいけない。
まあ、こんなちっぽけな弱小農家の費用対効果なんて・・・という感じはあるのだけども、きちんと経営という視点がもちろん大事。

「お金を稼ぐことは難しいが、お金を使うことはそれ以上に難しい。」
・・・と茨城のヒサマツさんが言っていた事を思い出す。

サラリーマンの収入は、ある意味での一方通行。
生活のための費用はもちろんかかるけれども、仕事を続けるためという意味での費用はほとんどかからない。
でも、自営業は収益の中から捻出していく設備投資やコストバランスを常に考えなければいけない。
 この「入ってくるだけ、と、出て行くものを考慮する。」という差はとってもとっても大きい。

自分がすべて出来ているとは言えないし、いろいろな流れの中で今の状態があるので一概には言えない部分があるけど・・・。


でも、農業と言えども自営業ということを忘れてはいけないと思う。

先日も新規就農の相談的な問い合せがあった。
やはり、この経営という部分が欠落している感がある。
「牧歌的に農的な暮らし」を夢見る中で農業を行うことは大切なことはよ~~くわかる。
最初の自分もそうだったし^^。


でも、その牧歌的な農的な暮らしになるには・・・、

『ある程度の仕事としての積み重ねの中から、「作業上の無駄な部分」を見い出し、そして排除して、そこから生まれ来る余裕の時間をあてるべき』だろうと感じている。

この余裕と呼ばれる時間を捻出できるようになるには、きっと少なくとも5年はかかる気がする。
少なくとも5年。。。

最初から「牧歌的」なことをメインに求めると、ず~~と牧歌的で進むのだろう。

「農業を行いながら、その農業にからめたその他の何かと同時進行的に行うことで、収益をいただければ・・・」という感じの考え方のような意見だった。
つまりは「半農半Ⅹ」ということで、・・・に行き着くわけなのだけど。

まあ、あくまで物事はセンスなので、その「半農半Ⅹ」のセンスが抜群な人はうまくいくことができるだろう。

でも、「農」のセンスもない、また「Ⅹ」のセンスもないとしたならば、ちょっと遠回りしすぎることになる気もする。。。
 多くは「農」のセンスに限らず、仕事上の適応できるセンスは後から開発させることは難しいだろうなんても思う。
 何度も言うのだけど「営業のセンスがないのに営業職に就くと続かないでしょ。ストレスになるでしょ。」・・・ってこと。

「やりたい」という意気込みが強ければなんとかそのセンスを後付けでもできるかもしれないけど、だいたいは「牧歌的イメージ」を先に求める人は「やりたい」という気概がどこか少ない傾向が強い。。。。

この自己のセンスを熟慮することからはじめて、サラリーマン生活からの脱却を考えた方がいいと思う、とある意味での自分を振り返りながら・・・・。

・・・そんなアドバイスをしたくなるのでした。。。。。