世間での連休に入り、雨がそれなりに降っている。
野草のことを考えている。。。


ギシギシという野草を食べる名も知らない虫。
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まあ、この、ギシギシという野草は厄介ではある。
でもしかし、なぜこの野草は生まれ育っているのか?
そこらへんを考えるようになった。

畑の中のフィールドにいると、なぜ野草はこれほどまでに繁殖を繰り返すのだろうか?という疑問を感じてみるようにしたら、とある想いに行き着いた。

まず、植物はなるべく「土をあらわにしないように」しているのだな・・・と。
次に、
根っこの衰退によって、土中に空気や水の送り込みをスムーズに行おうとしているのでは?。そして野草の変化によって、その野草の衰退によって生まれる栄養素を作り出しているのだな・・・と。

その結果として、
地球上の植物(野草)の最終目標は、「「森」を作るため」に存在しているのだな・・・と感じる。

野草が季節で変化し、そしてその勢力が年毎に変化する姿を感じるようになってきた。例えば去年はアカザが繁殖していたのに、今年はイネ科の野草が覆っている・・・とか。
そのように変化するのはなぜだろう?という答えが、「森」を作ることに向かっているのだろう・・・という想いに行き着く。

このギシギシ。
まあ、根っこの張りはスゴイ。
そして刈っても刈ってもすぐに伸びるし、根っこを粉砕してもまたその根っこの切れ端から芽を出す。これほどスゴイ繁殖力を持つのに、全世界を覆ってはいない。。。どこかでは、その繁殖勢力が衰退するのだろうと考える。
では、そのターニングポイントはどこにあるのか?という視点で見つめている。
たぶん予測では、上層の野菜を育てる層のその下の硬盤層が根っこの力で粉砕された時に、その勢力は衰退するのでは?と、なんとなく予想をしている。。。

スギナと呼ばれる野草。
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いろいろな文献の中で、代表的な分析をされている野草の一例。
スギナは、土中にカルシウムが少なくなると繁殖するとか。
つまり、土にとってなんらかの栄養素が不足したりすると、それを補うかのように繁殖するのでは?と思える。

畑の中を観察していると、なぜここにはスギナが繁殖するのか?他の野草はどうした?って思ったりする。
土の中には多くの野草の種が眠っている。除草剤をかけようが太陽熱で処理をしようが、土の中から毎年毎年芽を出す。
多くの野草の種が土の中に眠っているはずなのに、なぜ?〇〇の種類の野草がそこに芽を出すのか?、△△の野草はなぜ出てこないのか?

とある野草が繁殖したり、そして枯れて行っては、また別の野草が繁殖をするこの流れ。。。野草たちの最終目標が「森を創るため」と考えるならば合点がいく気がする。。。


去年からトラクターをかけずに草刈りだけしていたフィールド。
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ナズナとホトケノザが覆っている。
この春の野草は、もうすぐ枯れていくことが予想できる。

季節の変化によって枯れていく。
これだけの草が枯れるならば、土を覆うし、次の夏草の発芽を遅らせるだろうと予測する。ここに夏の野菜を植えつけると、夏草を抑えながら栽培できるのでは?などと考える。
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もうすぐ枯れる・・・って思うと、地面すれすれで刈らなくてもいいなあ・・・と思う。上部の部分をちょっと刈ってあげればいいのでは?などと・・・・、野菜という植物にそれなりの太陽光が当る程度に刈っていればいいのだろうと思うようになる。
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地面すれすれで刈って、その刈った草をその場から移動させるから、夏の野草が心置きなく繁殖してしまうのでは?とかなんとか思う。もちろん夏の最盛期には、この春の草が枯れた部分をかき分けて、夏草が繁殖はするだろうと思うが・・・・。

肥料というものも考える。
野草はアスファルトの道路の切れ間でも育つくらい肥料はなくても育つ。
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フィールドに肥料を投入すると、肥料が不要でも、これでもか!と育つ野草にも肥料を与えることになるので、それこそ繁殖力がすごいのだろう・・・と考察ができる。

野菜もそれなりに育つが、それ以上に野草が繁殖することも理解できる。

・・・で、地球上の植物は「森を創ること」が目的ではないか?って考えると、その途中経過である畑の中に、野草の繁殖と衰退を繰り返す中で植物質の腐植によって、その必要とする栄養素が加わるのだろう。

そしてその栄養分は、野草たちの判断によってそこに今必要なものが供給されるのでは?などと思えるようになっている。

そんな視点で畑を見ていると、野草と野菜との共存方法が見えてくるのでは?
・・・・とかなんとか、感じているこの頃。。。。