大き目の竹を、約7~8㎝にカットして上部3㎝ほど出して埋め込み、そこにスナップエンドウの播種をしてみている図。。。
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今年のキュウリ栽培の跡地に、不耕起で何も片付けずに行っている。
春になれば草が生い茂るが、その時の草刈りガード用にならないか?と目論んでいる。
草が生い茂るとカブ元が見えなくなり、草刈り機で、つい、野菜たちもカットをしてしまう。それの一次的なガードになるのでは?と・・・。
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キュウリの勢いがなくなってからは草刈りもすることなく、メヒシバを茂らせていた。程よい?^^高さでメヒシバが生い茂り、これからの越冬時の風よけにならないものか?とも考える。
 不織布を被せたり、ワラでガードしたりしていたが、ちょっと風を除けるだけでもいいだろうし、何よりも、その作業手間がなくなる(かも?)しれないので、一石二鳥?になるかもしれない・・・。
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 また竹筒ポットでカブ元がガードされることで、これも寒さ除けになるかも???、とか。。。
(今後、モミガラ燻炭を作ったら、このポットの中に少し入れよう、とも思っている。)
ま、竹は無尽蔵に地域にあるので気兼ねなく使えるし、朽ちれば土に還っていく。また竹チップは土作りに良いかも?と言われているので、何らかの竹の成分でいい菌の作用がでるかも?しれない。
 栽培中の畝の中の草も、なるべく抜くのではなく、刈り取りたいと思っているので、その刈り取りの際の手間(気を使って刈り取る微妙な労力~大きな精神的な負担?)も、この竹筒ガードで軽減できるかも?しれない。
出来れば、竹筒ポットを固く仕上がるような竹炭化して使えば、もっといいのかもしれない?とも妄想する。


小麦播種の準備を行ってもらっている。
前作は、先日まで繁っていた大豆。(2年連続で大豆だった。)
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大豆の畝間に繁ったメヒシバは、大豆栽培中に一回だけ草刈りに入ったものの、程よく?メヒシバに繁ってもらった^^。。。その枯草が残る。
まずは、草刈り機でランナーとして繁ったメヒシバを軽く刈り取りして、熊手でサイドに寄せてもらい、除草鎌にて中耕除草の要領で軽く土をほぐしてもらい・・・。
 大豆の刈り取りクキが残っているので、ラインも真っ直ぐ出来る。。。
 (かがやきのメンバーさんは、何回もこの要領でいろいろな畑の準備をやってもらっているので、もう何も言わずとも、イメージ通りの畑の下準備をやってもらえている。。。)

40℃程度のお風呂の残り湯で、一晩だけ芽出しを行った種を播種。
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播種は、細々^^と楽しく続けている「みんなで農園」メンバーのえーこさんとジュンくんにて。
(作業のお礼には、無肥料で大きく育ってくれたカリフラワーやブロッコリーにて、物労交換~~。)
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播種後は、軽く土を足で寄せて、踏みつけて鎮圧。
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その後、枯草と大豆の脱穀殻を上部に乗せて、鳥へのカムフラージュとマルチング。。。
・・・と、夏の間の草の残し具合^^さえも、大事な?アイテムとして、シーズンを通して循環している。。。
さて?どうなることか???

この畑は、やっといろいろな野草が茂るようになった。
借りたすぐの時(約10年前)は、イヌタデだけが一面に生い茂っていたことを思い出す。
どうも?廻りの田んぼの圃場整備の際に、上層の土を客土として削りとられた気配があり、赤土の畑である。

借りた後の数年は、有機で行っていたが今一つで、主に、大豆やモロヘイヤとかカボチャなどを輪作的に栽培していた。
 昨年は、大豆。
今年も、昨年の大豆を刈り取り後に耕すことなく、大豆を栽培。
そして、この秋に、やはり不耕起で小麦を栽培してみる。。。


不耕起を続けてきて、いろいろ考察をする。
 やはり、野草の根っこ、栽培した野菜たちの根っこが、土の中で縦横無尽に張り巡らされているのだろう?と思う。その網目のようになった根っこが、人知では構築できないような緩衝材となって畑の中に構築され、なんとも言えない、トラクターで耕運したものとは違う柔らかさを感じる。
 また、そこに生えてくる野草の種類の変化も感じるし、畑という大地そのものが、大きな枠で循環されていることも感じる。
 その中で「野・菜」というモノが育つことを見てとれて、「自然の中でたわむれた生き方をしたい」と農の世界に入る時に感じたことを、まさに、今、出来ている。

・・・もちろん、廻りのありがたいお手助けで出来ている。

不耕起・無肥料栽培の準備期間のような感じで、約3年が過ぎた。
少しずつではあるが、イメージ通りに育つものが出てきたし、作業ルーチンもなんとなく見えてきた気がする。
いよいよ、来年から次のステップに入る。
そんな流れが、流れ込んでいることもある。
ワクワクしている。
(・・・と、またも^^、目に見えないありがたい流れを信じる、今この時。)