北杜の魅力、再発見、という講演会に参加。
主には、乱立してしまっている太陽光パネルを再考してもらいたいという意図の中で行われた感じである。
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講演の中では、南アルプスのフォッサマグナについての解説もあり、科学的な見地から「世界で唯一の場所である」とお聞きする。
このお話しは、何千万年という時間の単位の中で、この地の魅力が作られた、ということとなり、壮大なロマンを感じるのだった。
 
 大規模の太陽光パネルは自然エネルギーと称されるモノの、今ある何十年、何百年をかけて構築された森の営みを破壊して、無秩序に建設が進んでいる。
 もう、あきれるばかりである。
結局は、目の前にちらつくマネーという実体のないモノを優先した行いである。
原発にしても、リニアにしても、自然の営みを考慮しない数々の道路建設、農薬による生物多様性の無視、そして戦争・・・・、挙げだしたらキリがない。
どこまで?マネーというモノを追い求めて人類は突き進むのかを眺めるために、最近はもう、いい意味?での傍観モードになっている。

 思考の中では、善と悪・陰と陽などが半分ずつ存在し、平和を求める分だけ悪しき事が舞い起こる時空であるのだと認識できるようになった。
 そして、この時空は自分が写し出して暮らしているのだろう、とも想う。

自分が写し出している存在なので「想いは現実化する。」ということも理解をする。
 この思考は、良き面では「自分の描いた夢」の実現によく使われる。
想いが強ければ、それに向けた人のつながりによる助け合いを受けるし、モノゴトや出来事がいい方向に舞い込んでくる。これは、もう、強く実感をしている。
 これと同時進行で、楽しきことを感じるには悪しきことが無いと感じない・・・ということも事実としてある。

つまり、自然が破壊されてまで成り立つ暮らしや不穏と思えるモノゴトは、我が身の中にある欲の裏返しであるのだと・・・。
 確かに、例えば何処かに行こうと計画をする時に、新幹線や高速道路を使う思考があたり前になっている。
このあたり前がクセモノみたいだ。

欲と感じない当たり前になってしまっている欲。
これが、ほぼ無意識の中で積み重なっている暮らしになっている気はしている。

もっと思考を変化させてみようと思う。

善と悪・陰と陽の「その先にある時空」を想い描き、それに向かう、と知人は言う。
その時空への想いが強くなれば、自分の廻りの暮らしには、真の平穏が訪れるらしい。

こんな思考を共有できる人が、本当に少しずつ目の前に現れてきているのを感じる昨今。
これから、どんどんと、その真の区分けが進む時空になるらしい。

・・・と、想いながらも、夜はニラマルシェというもので夕食を。
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韮崎の駅前にあったスーパーマーケットが5~6年?をかけてパブリックなスペースに変化し、その路上で屋台が開かれていた。
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小さいお店が、それぞれに出店をし、いろいろな物を少しずついただく。

最近は、小さなイベント事が本当に多い。
そしてそれには、小さなお店が並ぶ。
経済的な営みの原点を感じて、とても落ち着くし楽しい空間。

経済って、今のマネーが大きく右往左往することを示すのではなく、このような小さなつながりが拡大する経済活動が真の在り方に想う。
 もう、変化しているんだなあ~と、あらためて眺める。

・・・と、このように想うことで、暮らしは良きと想う方向に写し出されていくのだろうと思う。