ブログ 『「風の谷」  再エネは原発体制を補完する新利権構造』というブログを読んで、あらためて、また想う。
(2013/6/26に書かれた投稿なのだが・・・。)
 最近は、とんと、このような想いに関しては、もうお腹いっぱいとなってしまって封印をしていたけれども、やはり何か?盲目的に進んでいる歪の増大さの中に、これから先の暮らしが行きつく先が見えるような気がして、溜息がこぼれる。。。

このブログの中の印象的な文章は、「これからは、福島県民におきたことが日本国民におこるでしょう」という部分。
 これは、目に見える形での汚染地帯から何の保障もなく理不尽な追い出しを喰らったという具体的な事象だけを、自分は見ている訳ではない。
 大きな枠で見つめた時に、「弱きな立場の人々を破棄しながら、偏った立場の人々のために社会が構成されていく未来の姿」を感じてしまうのだった。そして、それが311を境に、本当に目に見える形で表面化が加速している事実を、こんな凡人の自分でさえも感じている。
(歴史上としては、何度も何度も、このような事は繰り返されているのだけれども。。。)

現在の暮らしの中では、この原発の対応の事だけではなく、多くの澱んだ歪の中で暮らしている。
歪んだ結果として、良きも悪きも同時に存在した、見た目ではとても豊かな暮らしの中にいる。

そして、個々の生活の中では、やはりお金という存在を使いながら、お互いの人生の目的の達成?楽しさ?有意義さを演出し、「目の前の豊かさの延長線上に、より豊かな未来が存在する。」ということを信じた暮らしのシステムですごしている。

特にFBという情報の中では、身近な楽しさを演出するみなさんの記事を読んでは、面白そうだな、がんばっているな、と思いつつ、片や、暮らしの理不尽さをかもしだす国や経済の動向の分析記事が並ぶ。
 楽しさを演出している方々の中には、理不尽さを感じながら楽しさを表現している人もいれば、何も感じない人、あるいはまた、あえてそこには目をつぶりながら、すごしている人もいるだろう。

 どの想いも、根幹には「現在のマネーのシステムの中で、どのように暮らすか」ということが語られていて、根本原因を創りだしているマネーシステムの理不尽さへは踏む込みは少ないように思える。

 別に、マネーの存在が全て悪い、という訳ではなく、「現在のマネーのシステムには大きな問題が存在するのにな」、と自分は心から気が付いてしまった。
・・・気が付かなければよかった、とさえ思うことが多々ある。

 このマネーシステムは、とても強大なエネルギーを持っていて、人類は、よくぞここまで「人間の欲を表現する手法」を生み出し、増大させているのだな、と感心さえもする時がある。
 この欲という表現さえも、別に悪しき印象上の「欲」だけではなく、生きる時間軸の中で、自分に与えられたであろう役割を表現する「ある種の、欲」「達成感」「生きがい?やりがい?」の部分にも通じる。
 この部分を表現しながら、より良い平和な暮らしを、みんなが目指している訳なのだけども、現在のシステムの中では、早かれ遅かれ「共倒れになってしまう」ことが想像できてしまう。
 自分が生きている時間の中で、共倒れを目の当たりにするかどうかはわからないが、いずれにしても将来は、きっとそのようになる。
そのようなシステムなのだから、と思ってしまう。

 マネーをきちんと循環させた、純粋に物と物との交換に使いながら、自己の達成感ややりがいを表現し、平和な未来を構築することに使い、仕向ければいいのだろうけれども、現在のマネーシステムの中ではこのマネーを使用するだけで、共倒れに寄与してしまうシステムの中にいる。
 寄与してしまうことが解かるがために、最近の自分は躊躇しながら、そして悩んでしまう。

どこかで、みなが、マネーは自分たちの暮らしの「道具」だということを心から感じ、真のシステムになることを希望している。
 このシステムにメスを入れない限り、地球という星の環境をマネーに変換しながら突き進んで、しまいには空気や水さえも、マネー取引に使用され、本末転倒な、無慈悲な暮らしになってしまうだろう、と思う。