野菜たちの日々

畑2015稼働始め~薪ストック

もみ殻燻炭作りから、今シーズンの作業開始。
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八ヶ岳をバックに白煙が上がる風景は、もう何年も続く冬の作業。
作り方はこちら、その①.、、、その②。

ドラム缶(お米貯蔵缶)を利用して作り、この缶の蓋は中央の煙突部がちょうど外れるので、風の強い時でも作れる。

完成したモノは蓋をしたままゴロゴロと転がし、苗土作り場にそのままもって行ける。
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昨年踏み込んだ落ち葉による温床にまぶして。
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事前に、温床の落ち葉は何度か撹拌してもらっていたが、そこにモミガラ燻炭を加えて混ぜながら、奥の苗土置き場に放り込む。

やっと今シーズンの薪割り作業が一段落。
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軒下のストックヤード。まず右端の昨年使ったゾーンにストックし、手前の薪群は、今シーズン使用している左端のモノを使い切ったら春先にストックする予定のモノ。
もう一カ所ストックヤードがあり、だいたい4年分がストックされていき、順次乾かしながら使っていく。

薪割り作業をしていると、いつもエネルギーの自給の事、消費行動のことを考える。
肉体的な労力のちょっとした苦労を使うか?、マネーで購入するための労力を使うか?に突き詰められていく。

いろいろな暮らしの中で、前者の、肉体的な労力が出来る範囲でほんの少し使われるだけでも、この社会構造に変化がもたらされる気がする。そんな事を、いつも薪割りの最中には想うのだった。。。

久しぶりに耕運~ホウレンソウ。

久しぶりにトラクターに乗る。
田んぼの秋の荒起こしを、やっと行えた。

畑は、ほぼトラクターでの「全面耕起」をストップしているが、田んぼを不耕起にするまでは至っていない。
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先日行った収穫後のワラを切りワラにしたもの、土の中に混ぜ込んでいく。

まあ、あたり前過ぎる作業ではあるのだが、近代の稲作形態では常識とされていることに、ほんの少しは疑問を持ちながらトラクターの上でのんびりと考えたりもする。

別に、不耕起がいいとか、トラクターがダメとかの区分による良し悪しではなく、ただただ、あたり前という事そのものに疑問を持つことも、あり、ではないか?ということを考えながら。

トラクターの効能は、作業の効率化や肉体的な疲労の軽減など、多大な功績をあげているとは思う。
歴史的に考えれば、戦後の食糧不足の時期に思考された大量生産・大量供給の実施など。
 そのような歴史を過ぎて、食生活のスタイルや世界から食の輸入なども変化したことで、今はお米が過剰とされる時代となった。
 この時代に、賃金確保を成すために更なる機械化や効率化を求めているが、貨幣経済の中では苦戦を強いられている農業の実態となってしまっている。
 それに伴って農作業に従事する人も減っていく構造が追い打ちをかけて、効率化スパイラルに陥っている。

トラクターという目の前の事象ひとつでも、便利さを求めた結果に流れ来る「本来の必要な姿」が変化し、何処かに追いやられている。
 自然の中に生かされている人類という動物は、その姿の変化をキープするために、環境というモノを食いつぶしている気がしてならない。
 どこで?そのスパイラルに気が付くのだろうか?と、最近は、いつも思うのだった。

 また、重量のあるトラクターが土の上を走り回ることによる鎮圧での耕盤層の形成や、人為的に細かく粉砕された土の再固着などによる土の更なる凝固を引き起こす弊害もある。
 この弊害は、微生物層などの目に見えない営みに影響を及ぼし、いわゆる自然な流れによる土の形成ではないがために、常に人為的な労力を加えなければならないサイクルも引き起こしている。

地球という環境は、光や空気や水、また鉱物や石油資源などなどの多大なモノを無償で与えてくれている。
その無償で与えられているモノを「あたり前」だと疑問を感じないがために、いろいろなモノが見えなくなっているのではないか?などとも思う。

自分も、もちろん、大多数の人が気が付いていない、というか、忘れている気もする。
「あたり前」ということを、たまには疑問を持って暮らすことも大事なアイテムだと思うのだった。


そんな想いで始めたのが、不耕起・無肥料での栽培への挑戦。

やっとホウレンソウが育つ土に変化を始めてくれている。
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有機農業を行っている時でも、ホウレンソウの育つ環境になるのは少し時間がかかったように思う。
特に、酸性・アルカリ性のPH濃度が重要だと教わり、石灰などの投入によって調整することがあたり前だと思っていた。

でも実際は、何も施さなくても、このように育ってくれる。
教えられた常識とされるものが、見事に覆された現実だ。

このような姿を見てもまだ、肥料は必要だと言う声は、他からも自分からも聞こえてくる。
それは、今の社会の中で暮らすための賃金確保という名目があるからである。

賃金的なことを、もちろん全否定はしない。

 ただ、経済というモノは、効率や不効率の中で育まれていく回転なだけ、なので、その回転スピードが変化すればいいだけのことだと眺めている。
 今の回転は、無償で与えられているモノを、無限なモノという勘違いの前提で進んでいる気がする。

特にこの日本や、先進国と呼ばれる国々、もちろん自分たちという個々も含めて、物質的なものはかなりの部分で満たされているのだが、未だに前世代的な、物理的な「モノが欲しい」という前提条件の中でもがいている気がする。

時代が求めるモノは、いつの時代も変化をしている。

 もうそろそろ、それなりに大きく変化をするとは思うし、それに伴った経済スタイルへの思考の変化に向けて、ちっぽけな自分からも始めようと思う。
 経済は、1人では廻るものではないが、何かのスタートは、常に少人数からである。
別に、物理的な通貨スタイルを代えるということではなくとも、使い方やもらい方、その他の多くの事柄を、まずは自分の無理の無い範囲で変化を始めてみよう、と思う。
 まあ、節約というか?今、あるものを大事に使うというか、これは「あたり前」のことになるのだけれども^^・・・。


こちらは、種まきを遅らせた冬越し用のホウレンソウ群。
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いわゆる冬草と共生しながら、春まで待つ姿となっている。

これから寒い冬を迎え、それを越すことで創造される甘い糖分を自分たちに与えてくれる。
こんな姿を目の前に眺めながら暮らせる豊かさをありがたく想うし、これからも、この視点は大事にしたいと心から思っている。

大豆・マネー???

う~む、最近は、とんと記憶力の低下を感じている。。。
そんな思いもあり、細々とブログの再開中。

初冬に移り変わる雨の中、大豆の機械選別に向かう。
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機械に放り込むと、大・中・小・クズに選別してくれる。
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今年は、大・中で約230kg+小25kgの合計255kg。
これからまた、一つ一つを手で選別すると一割程は減るので、たぶん230kgぐらいになると思う。
面積的には多収量ではないが、まあ、たっぷりとストックが出来た。

来年は、知人がsoyミルクでがんばってみたい、と言っているので、何かしらの形でつながると思う。

・・・それにしても、この国産の有機大豆は貴重すぎる程、貴重なものと思う。
国産と言うだけでも、4%程しかない。
その中で、無農薬大豆は何%だろうか?

貴重なもの、というのは相対的な価値の指標なので、別に、無農薬の大豆が欲しくなければ貴重ではない。
それは何事も同じである。

その貴重さの指標はマネーで評価されている。
ある人にとっては貴重なので高額でも購入になるが、ある人にとっては安さを求めて遺伝子組み換えの大豆でもいい、ということになる。
そんな価値の基準が、生産側にマネーという形で表れてくる。
そこには、大豆の価値だけではないものが組み込まれているのだが、見えにくい。
見えにくいと言うか、認識しようとしないという表現になるだろう。

今、普及している互換性抜群のマネーが、その個々の価値基準さえも呑み込んで、個々人が想い描く価値が普遍的になっている気がする。

個々人の中にある価値を取り戻したい?気がしている。
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・・・と、まあ、そんな事を想いながら、夜は浅川くんとサンクス・チケットについて談義をした。。。

食のストックが進む。。。

10日ほど干した大根を、いよいよ漬けこみ。
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米ぬかは、我が家の田んぼから収穫したお米のもの。
唐辛子も。
塩は、モンゴル岩塩。
もう毎年仕込むようになってるけれども、最初の頃は試行錯誤だった。
ネットで分量を調べ、何かときっちりと行っていた記憶があるが、最近では、「ま、てきとー」・・・という、この感覚が身について?きた。
 大根の出来がいまひとつの感があるが、まあ、自給用+差し上げ用ならば、美味しく食べられると思う。
今年は、信州地大根という短めの大根も初挑戦で漬け込んでみる。
あまり干さないで、固めに仕上がるタクアンらしい。

切干大根。
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又根になったものを使って・・・。
なかなか、パリッと仕上げるのが難しい・・・。

昨日収穫をした野沢菜を洗って天日に少し干して。
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天日に当てることそのもの、また、これによって少ししんなりすることで漬け込みやすくなる。

お米・大豆・小麦・そして、お味噌、漬物、小麦からうどん(加工してもらっているが)、トマトソース、シイタケ・・・、今後、キムチ漬け、醤油搾りなどなどを行ってストックが進む。

このような事を、世間では「自給自足の暮らし」、と何か特別な事のように言っているみたいだが、自分や家族の身体になっていく食べ物を、自らの手で作り出すことは、実は当たり前の行いのように思えている。
もちろん、全てを自給できる訳ではないけれども・・・。

 買えば済む、そのために他の産業に従事し社会の一員としての報酬から食べ物を得るサイクルは全否定はしない。
 ただただ、自らの身体になっていくモノを、自らの手で創りだしていくこと、まずは、それを前提に暮らすサイクルの方が健全ではないかな?といつも思う。

こちらは、小豆の唐箕かけをやってもらっているシーン。
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片手間的になってしまった小豆だが、自給用と種継ぎの意味合いを込めて。。。

来年は、もう少し薪の有効利用を本腰を入れて進めたい。
無理ない範囲でのカマドでの調理や、薪でお風呂に入るようにしたり・・・。

野沢菜~保存食。

野沢菜の収穫を、さかさんと一緒にしているシーン。
早朝の氷点下の日々が始まり、いよいよ畑から野菜たちの姿が少なくなっていく。
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無肥料・不耕起で、それなりに大きく育ってくれているのだが、初期の生育スピードはゆっくりだった。ある時を境に、ググンと大きくなった感触がある。
このゆっくり育つ過程で、寒さにもそれなりに強く(対応)出来ているのではないか?と思えるが、どうなのだろうか?
肥料を施すと、その一つ一つの細胞が膨れているだけ・・・、という主旨の何かの記事を読んだことがある。
つまり全体の細胞数は決まっているのだが、その密度の違いによって見た目のみが違っているという主旨だったように思う。

暑さ、寒さ、多雨、少雨・・・、その時の変化に対し、その場にある肥料的な要素のみでゆっくり育った場合には、やはり対応力もあるのではないか?というような気もする。
どうなのだろうか?
要・観察ではある。
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野沢菜を漬け込み、タクアン、切干大根、白菜キムチ漬け、大豆などの豆類の貯蔵、イモ類の貯蔵・・・などなどによって、冬という野菜がフィールドから消える場面を受け入れて、準備し、季節に寄り添った暮らしに身体を合わせていく。
 今の社会構造の中では、いつでもどこでも食べ物は「買える」状況の中で、あえて、この貯蔵の智慧で暮らせることそのものに、ありがたさを感じる。
 大多数の方々は、このような体感がないままに暮らしておられる。それでも暮らせるからであるが、今の時代に、このような暮らしが出来ることが人生の中の経験値の蓄積には、自分にとっては貴重な事であると思っている。

特別な事は何もないけど、たくさんある。
やはり、素晴らしい時間を過ごしているのだな、と再認識をしている。
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