ゲストハウスぷろじぇくと。

立春大吉~かがやき夢農場~。

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「立春大吉」~いよいよ、旧暦上では、春。
ここ数日の暖かさは、春を思わせてくれます。

八ヶ岳yesファームの11年目は、新しいスタイルでリ・スタートします。

「かがやき夢農場」というネーミングが加わり、耳が不自由な方の支援施設としても動き出し、多くの新しい、出会い・経験・農のスタイルを目指します。
「聴覚障碍者向けの就労継続支援B型施設」としての申請は2月1日に無事に提出を行い、4月1日の始動に向けて動き出しました。

聴覚に障碍のある方が、畑や田んぼ、里山の整備の作業に参加していただく場を作ります。

運営母体は、東京・葛飾ですでに「かがやき夢工場」として開所されている「かがやき株式会社」が行い、農場の中にある「ゲストハウスがその施設拠点」として生まれ変わります。(こちら、ご案内)

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昨年より、手話サークルにも参加させていただき、少しずつですが、手話も勉強をしています。

この施設においては、引き続き八ヶ岳Yesファームの農場運営を行いながら、この「かがやき夢農場」の農業指導部門を担当し、今までの多くの農業体験の方を受け入れてきた経験をもとに、みなさんとしっしょになって活動します。

専属の福祉指導員も決まり、三位一体+手話通訳の方と共に運営を行います。

昨年の3月に行った「かがやき夢工場のみなさんとの味噌仕込み会」での出会いから始まり、具体的には、昨年の夏にこの運営のお話が始まりました。 (味噌仕込み会の様子はこちら)

少しずつこのお話を詰めていく中で、ありがたいご支援やご協力のお声をたくさんいただいてきました。
お話が立ち上がってから、約半年、聴覚障碍の方々と実際に出会ってから約一年・・・。無事に申請を提出させていただくことができ、やっと^^公に公表できる運びとなりました。

この経緯や、もっと詳しい想い・運営スタイルなどなどは、追ってブログに追記させていただきたいと思っております。

どうぞ、よろしくお願いいたします。

追:ホームページに記載している、農体験のスタイルに変更が加わります。
近日中に、変更いたしますので、ご承知置きいただければ幸いです。
4月1日から、農体験スタイルも変更になります。

なんだか、動きだした気がする。

ゲストハウスプロジェクト、なんだか?、動き出した~。
予期せぬ方向から、話が舞い込んできてもらった。

この予期せぬ方向から・・・というのは、過去に何度もありがたく享受させてもらってきた。
今回も、素直に、この流れに沿わせていただこう・・・と思う。
これに加えて、自分自身が行うべきことも、少しスピードをアップしよう。


最近は、出会う方、起こる出来事、参加する出来事、それらから感じること・・・・などなどに目まぐるしい変化が始まって、ブログをゆっくり書けないくらい。。。


野菜たちは、無肥料・不耕起なのに、なんだか^^育っているもの多数あり。

肥料がたっぷり必要とされるナスたちも、一雨ごとに元気に、たくさんの実をつけてくれている。

昨年のこの時期あたりから、本格的に無肥料・不耕起を行ったので、約一年が経過した。
今年は、実験的に、観察の年にしたつもり(強がりも含めて^^)・・・。

なんとなくではあるが、この実験期間で感じたことは、やっぱり大きかったと感じる。
ありがたい。

無肥料・不耕起はなるべく続けたいので、今後は、「無理なく」それに向かおうと思う。
今年は、め~いっぱい、それに取り組んだつもり。
今、この時点から、「その続けられる方法」に向けて、ここで、少し修正を加えるつもり。

このようにすればいいな・・・ということも、頭に浮かんできたし・・・・。

やっぱり、なんでも、やってみることで見えてくるな・・という想いが、ありがたく渦巻く。。。。。

見つめ直しの時期、その②

その①の続き。こちらその①。

今回のブログは、自分が「これから実現してみたい想い」に賛同していただける方がいないだろうか?
その呼びかけでもありますし、10年という区切りのメモとして記してみる。

新規就農とか、農的暮らしとか、自給自足とか、半農半Xとか。
そこら辺りを、もう一度見つめ直している。

その①で、なぜ自分が農の道に進もうと思ったかをここにきて、もう一度振り返ることをしてみた。
今回は、いろいろな背景を記してみる。

まずは、社会的な背景から。

農業というのは、語句に「業」が使われているように産業である。
これは間違いがないし、資本主義における構造のひとつとなる。
それを全否定するつもりはない。

 全否定するつもりはないのだが、これが「食べ物を作り出す産業」であるという中では、構造的に許される部分と、このラインは許せないという部分が、大きく存在するはずだろうというのを感じるようになった。この存在には、グローバル社会というものも関与もしている。
 現在の農業の置かれた位置を眺める中で、農業という産業が、許されない部分を大きく犯しているように見える。特に10年近くたずさわってきた有機農業と呼ばれる農業スタイルの中から、あるいはまた、自然農と呼ばれる農のスタイルを少し実践してみて感じるものがある。

・農業というものは、食べ物を作り出す産業である。

・食べ物とは、自らの体そのものを作り出すものである。

・この、自らの体を作りだすものであるから、自らの体そのものと言っても間違いはないだろうと思う。
つまり、自らの体と直結している「自らの体を作り出す産業」・・・と言っても過言ではないはずだ。

この自らの体との直結・・・という部分が、本当の意味で、社会の中、あるいは各個人個人の中に意識付けがきちんとされているのだろうか?などと思うことがある。
何か、どこかで、他人事のような感覚を感じることがある。
この感覚を取り戻すことが、大事になってくると思う。
というか、取り戻さなければならないと感じなければならないことそのものが、もうすでに大きな問題ではないのか?とさえ思う。

経済至上主義には、良きところもあれば悪しきところもある。
悪しきところばかりでないことも、きちんと理解はしている。

 農業という「自らの体を作り出す産業」は、他の産業構造と一線を引かなければいけない部分が大いにあると思うのだが、どうも、それは、一緒の枠組みの中で同列に語られているように思える。一緒の枠組みの中で語られる部分が多いがために、たぶん、特に、日本の農業は衰退をしたのだろうとさえ思う。
 また、自らの体を作り出すことであるのに、自らの体に対して良きと思えないものが過分に関与しなければ成り立ちにくい構造でもあるだろう。

例えば、農薬の問題を今さら述べるのもアホらしく思えるのだが、論調では残留農薬は問題がないとされている。しかし、少なくとも虫という小動物という生命が死ぬものを振り掛けていることは間違いがない。残留性は、ただただ基準という数値が設定されただけのことである。
この数値が設定されただけ・・・という部分に、大きく関心を持たなければならないはず。

先日、地域の回覧板の中に通知が入っていた。
来月から〇〇という農薬は使用禁止となります・・・との文言が。
さらに、この農薬を使うと罰せられます・・・との語句もあった。

ある日を境に、使ってはいけませんよ。ということである。
ある日を境に・・・・である。
昨日まではよくて、今日からダメ。
じゃあ、今まで使っていた物はなんだったの?という疑問は沸いて当然だと思っている。

例えば、このような理不尽なことがまかりとおている暮らしの中で、食料というものが作られ、位置付けがなされている。これらの問題は、もう、語るのもアホらしい領域だし、それを長々と述べるつもりはないのだが・・・。

農薬だけでなく、遺伝子組み換えの問題もあるし、F1の種の問題もある。
あるいは、食品添加物や家畜の飼育の方法などなども含めて。。。

ひとつひとつの問題をここでは掘り下げることは出来ないけれども、農業を行っていく中で、社会の中に蔓延する問題がこれほど多く存在していることが、十分に見えてきた。
たぶん、農の世界に入らなければ、この問題は見えてこなかったと思う。

でも、しかし、何度も記すが、これらの問題は、全て自らの体に「直結」している事柄なのである。
このような問題が見えてくる中で、つまりは健康とかの問題となるわけである。

こんな中、またまた、別の論調が入り込んでくる。

社会的リスク、つまり経済的なリスクとの天秤にかけた時には、その問題は受け入れるしかない・・・との論調が入りこむ。
例えば、車は排気ガスを出す。
健康や環境には悪いはずだ。
では車を、あなたは止めるのですか?との論調などなどが・・・。

まあ、これは、例えば、石油というものを使って車を動かすので配慮がないだけのことであって、別のモノから動力エネルギーを開発すれば問題は解決する。
この開発の研究は、自分たちが開発事実を知らないというだけで、実は行われている。表に出ないだけのはなしである。なぜ表に出ないのか?それは既得権益によって、経済的な優位さを守ろうとする産業構造が阻止をしているだけのことである。原発なんてわかりやすい事例だろうと思っている。
まあ、この問題を語ると終わらないので、そのような事実があるということだけを記しておいて、そんなことも、食の理不尽さから眺めると、見えてくる・・・という事例。

つまりは、これだけ、多くの技術が発展してきたのに、それを健康や命を削るという行為で突き進んでいるということが見えてきているということである。

たぶん経済至上主義は80年代にピークを迎えたような気がしている。
でも、これも異論はあるとは思う。
いろいろな歴史の中の一コマと考えるならば、ピークなんてないのかもしれない。
でも、しかし、「現在の価値観の中の経済思考」という意味では、ピークは過ぎたはずである。

ピークはすべてに存在するのだから、認めなくてはいけないはずだろうと思う。
認めた上で、新しい価値観による暮らしにシフトするべきなのだろうと自分は思う。
それは、今の経済性を否定するわけではない。
方向転換を正しくするべき時もある。・・・ということを見つめなければならないだろうと言うことである。


うわ、またまた長くなった。
終わり・・・。

見つめ直しの時期、その①.

いやはや、今日も暑い。
暑いのは、なんとかやり過ごすことが出来たとしても、雨がない。
雨の予報も、ずっと無し。
秋の野菜の作付も進めたいけど、・・・・、という感じ。
この昼の暑い時間に、長々とブログを記す。。。


新規就農とか、農的暮らしとか、自給自足とか、半農半Xとか。

そこら辺りを、もう一度見つめ直している。

まずは、なぜ自分が農の道に進もうと思ったかをここにきて、もう一度振り返ることから・・・。

そして、今の農業や食糧事情、食品の正しさなどの置かれた位置、あるいはまた放射能の対応などで見えてきた社会の歪、これらをいろいろと総合し、これからの生き方の指針を考えている。
 それに加えて、我が家のゲストハウスが有効に活用できていないということや、娘という次世代へ残せるものとか、多くのこともリンクしていろいろと想うことが満載である。

今回のブログは、自分が「これから実現してみたい想い」に賛同していただける方がいないだろうか?
その呼びかけでもありますし、10年という区切りのメモとして記してみる。


まず、自分が農の道に進もうと思ったことを、心の奥底に問いかけてみた。
もう10年以上も前にさかのぼるので色づけしてしまう自分がいるかもしれないが、やはり「自然にたわむれた生き方をしたい。」というのが根底にあったことは間違いがない。
 この想いの裏側には、農へのあこがれだけではなく、サラリーマン生活での「追い立てられた時間の暮らし」への疑問も確かにあった。また、当時の仕事の実務そのものは楽しかったけれども、会社という組織に属することで、少しずつ入り込んできた理不尽さに嫌気がさしたことも事実としてはある。
 そして、「もっとのんびりとした気持ち」で暮らせないものなのか?という想いも駆け巡った。
この「のんびりと・・・」という想いが、本当の本音の部分に相当する気はしている。

農業を始めた当初の想いの中には、農業という属性の仕事によって売上を上げることによる成功(のようなこと)を目指すつもりは、ほとんどなかった。でも、行うからには数字による目標設定をしたし、それがモチベーションを上げるには簡単な意識付けだった。
 そして、どのようにすればお客さまに増えてもらえるのか?という想いと行動は、嫌味な感じではない楽しさがあったし、美味しいと喜んでいただくことと、無農薬での野菜という食べ物を送り出す仕事は誇りも感じた。

このような流れの中とモチベーションでは、朝の5時前から夕方の日の入りまで作業を続けることは全く苦にはならず、楽しく、そしていろいろなありがたいつながりの中から売上という数字も順調に伸びていった。
 この数字の伸びによる楽しさと同時に、少しずつではあるが疑問が生じてきた。でも、疑問は大きく自分を変えることなく、数字の伸びという楽しさを楽しんでいた。
 でもでも、その数字と引き換えと同じくらいに、脱サラする以前の時間やいろいろな物事に追い立てられてしまう自分の暮らしや思考に戻っていることを薄々とは感じていた。

そして、311を迎える。

311以前から、原発や放射能に関する危険性は認識をしていた。実際に多大な放射能がふりまかれた社会のとった選択は、命の重みよりも経済性だった。これに、愕然とした。
どんどんと情報は交錯し、今まではちょっとの放射能漏れさえも危険とか言っていたはずなのに、あの日を境に、低線量の被ばくは問題ないという論調が多くを占めるようになった。
放射能そのものの危険性以上に、この豹変ぶりに怖さを覚えた。

311の2か月前に、我が家にも新しい家族が増えた。
小さな命は、不思議で不思議でたまらなかったし、今でもその不思議な想いは変わらない。
あのタイミングで、新しい命と出会ったことも、大きな意識の変化の一因だろうと思う。

放射能の対応への疑問と同時に、経済性というものを中心とした暮らしの「良きところと悪いところ」を客観的に見えるようにもなってきた。
 経済性という、いわゆる競争原理によって発展と呼ばれるもの、あるいは便利と呼ばれるものが、いろいろな視野を広げたことは間違いがないし、ありがたい側面は多大にある。
 でも、悪しきところも露呈をし始めた。
悪しきと思えることは数限りなくあるが、農という食糧生産の最前線にいる自分の中には、正しくあるべきの食が経済性の中で犯されていることに、心から疑問を持つようになる。

経済性の良きところは、ピークを越えたのだろうと思っている。
それは、たぶん、80年代に超えたいた気がする。
ピークを越えたことを素直に見つめて方向を転換する社会であれば、多大な理不尽さは生まれることが少なかったと思うが、この経済至上主義はそれを許さない構図である。いつまでも右肩上がりでなければならない。でもしかし、消費行動は物が満たされれば増えるはずもない。増えるはずもないのに、いろいろな付加価値と呼ばれるものを、無理して付随させているようにしか見えない自分である。

この無理して付随させることは、何かを失っていることが明確に見えてきた。

それは、ありきたりの言葉ではあるが、地球という自然が与えてくれたものを、これでもかと蝕む暮らしに拍車をかけている気がするし、たぶん実際にその路線は進んでいると思う。

10年前の新規就農を目指した時に感じた「自然にたわむれた生き方をしたい。」の想いが、ここで蝕まれている事実の中に埋没しそうな自分がいることを、残念だけど、見せつけられている今。

つまりは、自分の想いの原点になんとか帰ってみたい、帰るべきが自分の求めていた楽しさだろうと、ごく最近は強く思えている。
それを、やっぱり実現させたい・・・という想いだ。



長くなったので、ここで、一度終わり。。。。

前振り・・・・???。

先週は、ご家族でのご来場が多かった。
のちに、ブログに記しておこうと思うが、子供さん連れが合計3組。
ギリシャ人ウーファー、子供3人。
お知り合いの家族と、その友人家族、子供さん合計5人。
ワイワイ、ガヤガヤの一週間だった。
今後も、子供さん二人を連れて来場を希望される方がおられる。。。。

我が家に子供が出来てから?なのか、急激に親子連れのご希望が増えた。

それまでとは、ちょっと風向きが違っていることを感じる。
この来場される方の流れは、ちょっと流行り?がある。
その年、その年で、ご来場者の層が違うこと。

ある年は30前後の方、またある年は大学生が多かったり、またある年は40代が続いたり・・・・。
・・・で、今回は、親子連れが続いている・・・。


・・・・と、そんなことを振り返りつつ、朝には、いつも、こんなことやってみたいな~~とひらめく。
ひとつの考え方を、このひらめいた瞬間に、ちょっとメモ代わりに・・・。


我が家には、ゲストハウスがある。
でも、しかし、有効に活用できていないというのが本音だ。

我が家のゲストハウスではあるので、「自分たち家族・あるいは自分自身で」でなんとか考えよう・・・という風にばかり、今まで考えていた。
でも、しかし、結局は農作業に追われ、ゲストハウスの有効活用の方策や具体的な行動には移れずにいた。

・・・で、このゲストハウスを有効活用できるようなアイデア?を出していただける方、そして、その運営にかかわってみたい方が来てもらえないかな?などと思った今朝。。。。
「仮称)ゲストハウスプロジェクト」などと銘打った、立ち上げからかかわってくれるような方がいないものか?などと、まずは思うようにしてみた。。。。

具体的なことはほとんどないし、まあ、ひらめいただけの今の状態なので、今後はどのようになるのかさえもわかってはいない。。。

まずは、前振り状態で、このブログ日記に記しておこう~~、という感じ。。。

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