この時期、ちょっとお天気がぐずついていて、貴重な雨の合間の日となりました。
昨日の葉物の播種の続きでホウレンソウを蒔き、タフベルのベタがけを終わらせ、同じく昨日播種をしてもらった人参にビニールトンネルをかけて・・・。
春の畑用にトラクターで耕運し、春植えのタマネギ用のマルチを貼って・・・。
・・・とか、そんな畑作業を進めて、4時ごろには本降りの雨となって本日の作業は終了。。。。
さて、タイトルの「脱・有機農業」ってこと。
別に「有機農業と言われる農業」をやめるわけではありません。
どうも最近、気持ちの中で「『有機農業』という言葉そのもの」に違和感を覚えるようになってきました。
もちろん、このブログやお便り、またいろいろな人に農業スタイルをお伝えする時に「有機農業でやっています・・・」と述べたりはするのだけど・・・。
僕は就農当初から「安心・安全な」というフレーズでこの野菜たちをPRすることに違和感を覚えていました。
食べものなのだから「安心や安全は当たり前!」だと思っていましたし、当たり前のことを売り文句にすることは逆説的には大多数のスーパーなどに並ぶ野菜などは「安全ではない」・・・と聞こえる感もありましたし・・・。
そのような感覚と同じことを「有機農業という言葉」に感じてくるようになってきました。
つまり僕の中では、有機農業と言われる農業スタイルは「当然の日常の中の農業スタイル」と今現在は感じてて、「特別なことではない・・・」という感じでしょうか・・・?
一般通称的には「有機農業」というフレーズを使うことによってどのような農業スタイルなのかがすぐに伝わります。
この「有機農業」という言葉は、他の野菜との差別化するための用語・・・という感じに思えています。
ここ最近は、僕が就農するために研修を開始した10年前とは格段に有機農業スタイルでの新規就農者も増えました。
そして「有機認証」という、僕からすると変な意味の「言葉遊び」の有機野菜も氾濫してきた感があります。
差別化するために表現してきた言葉などが多数を占めるようになると、それは埋没して特別なことではなくなります。
昔・・・と言ってはなんなのですが、「有機農業」といえば、それはそれで注目をいただける感じでしたが、僕の現在の農作業の中の位置付けや、この言葉としての氾濫によって、特別感が薄れてきた・・・という感じです。
今から僕の気持ちの中では「有機農業は特別なことではなく、あたり前のこと」としてとらえ農業に向かおうと思えています。
そしてその先の・・・
「徳永という人間が手がけた野菜」
「八ヶ岳Yesファームが手がけた野菜」
・・・という、その個人の思い入れが入った野菜たちというレベルでいきたいなあ、という感じです。
ブランド化という言葉そののも好きではありませんし、ましてや、とてもブランドと呼べるレベルにはなりえないのかとも思いますが、「農業者としての想いの詰まった野菜たち」・・・と表現すればいいでしょうか?
「有機農業」という言葉に抱っこされるのではなく、この農場で採れた野菜たちは美味しい、ということが前面に出せるようにしたいなあ、という想いです。
やっていることは何も変わりませんが、言葉というかその言葉を使う裏側のきちんとした心理をしっかり表現できてPRできればいいなあ、という想いです。。。
昨日の葉物の播種の続きでホウレンソウを蒔き、タフベルのベタがけを終わらせ、同じく昨日播種をしてもらった人参にビニールトンネルをかけて・・・。
春の畑用にトラクターで耕運し、春植えのタマネギ用のマルチを貼って・・・。
・・・とか、そんな畑作業を進めて、4時ごろには本降りの雨となって本日の作業は終了。。。。
さて、タイトルの「脱・有機農業」ってこと。
別に「有機農業と言われる農業」をやめるわけではありません。
どうも最近、気持ちの中で「『有機農業』という言葉そのもの」に違和感を覚えるようになってきました。
もちろん、このブログやお便り、またいろいろな人に農業スタイルをお伝えする時に「有機農業でやっています・・・」と述べたりはするのだけど・・・。
僕は就農当初から「安心・安全な」というフレーズでこの野菜たちをPRすることに違和感を覚えていました。
食べものなのだから「安心や安全は当たり前!」だと思っていましたし、当たり前のことを売り文句にすることは逆説的には大多数のスーパーなどに並ぶ野菜などは「安全ではない」・・・と聞こえる感もありましたし・・・。
そのような感覚と同じことを「有機農業という言葉」に感じてくるようになってきました。
つまり僕の中では、有機農業と言われる農業スタイルは「当然の日常の中の農業スタイル」と今現在は感じてて、「特別なことではない・・・」という感じでしょうか・・・?
一般通称的には「有機農業」というフレーズを使うことによってどのような農業スタイルなのかがすぐに伝わります。
この「有機農業」という言葉は、他の野菜との差別化するための用語・・・という感じに思えています。
ここ最近は、僕が就農するために研修を開始した10年前とは格段に有機農業スタイルでの新規就農者も増えました。
そして「有機認証」という、僕からすると変な意味の「言葉遊び」の有機野菜も氾濫してきた感があります。
差別化するために表現してきた言葉などが多数を占めるようになると、それは埋没して特別なことではなくなります。
昔・・・と言ってはなんなのですが、「有機農業」といえば、それはそれで注目をいただける感じでしたが、僕の現在の農作業の中の位置付けや、この言葉としての氾濫によって、特別感が薄れてきた・・・という感じです。
今から僕の気持ちの中では「有機農業は特別なことではなく、あたり前のこと」としてとらえ農業に向かおうと思えています。
そしてその先の・・・
「徳永という人間が手がけた野菜」
「八ヶ岳Yesファームが手がけた野菜」
・・・という、その個人の思い入れが入った野菜たちというレベルでいきたいなあ、という感じです。
ブランド化という言葉そののも好きではありませんし、ましてや、とてもブランドと呼べるレベルにはなりえないのかとも思いますが、「農業者としての想いの詰まった野菜たち」・・・と表現すればいいでしょうか?
「有機農業」という言葉に抱っこされるのではなく、この農場で採れた野菜たちは美味しい、ということが前面に出せるようにしたいなあ、という想いです。
やっていることは何も変わりませんが、言葉というかその言葉を使う裏側のきちんとした心理をしっかり表現できてPRできればいいなあ、という想いです。。。
「脱」とまで言う勇気は僕にはないですが(笑)。