お野菜のお届け、ご連絡。
こちら、ご参照いただければ幸いです。(5/28記)
--------------
畑の今。
野草と野菜との関係を、最近は観察している。
観察しているというよりも、昨年の後半より、この関係を知るために壮大な実験をしている。
作業の進み具合は良いとは言えないし、生育も遅い。
そのため、お野菜のお届けもきちんと出来てはいない。
貯金も次から次へと目減りをしている。これは、ちょっと(かなり・・・)不安材料。。。。
強がりを述べると・・・、
「農業者として、野草という畑フィールドの中の移り変わりをきちんと知りたい。」
このように思っている。
今まで、研修時代も含めて、トラクターで耕したフィールドしか知らない。
野草が季節で変化すること。
あるいは、
畑の違いによって野草が勢力を増す種類があること。
・・・そのようなことを知らないで10年以上が過ぎた。
畑というフィールドが、本当の意味で、何がどのようになっているのか?
土手の草とは違うであろう、栽培をしながら野草を刈り取ったりして管理する行いとの関係性を、農業者として過ごしている一員として、その流れの中で、少なくとも一年ぐらいは観察し自然の営みの流れを知っておく必要もあるのではないか?
そんなことを強がりながら想っている今シーズン。。。
写真では、うまく描写できない。
きちんとメモするとか、そのようなことも無理っぽい・・・。
自分の脳みその中にインプットし、季節の移り変わりを五感で感じながら、体の中に染み込ませたい。
・・・とかなんとか、そのような感覚的なもので経験値を重ねることにしたい。。。
ナスの栽培ゾーン。

まだ夏草の繁殖は始まっていないが・・・。
(基本的には、去年の4月以降はトラクター耕運はしていない・・・。そして同じく、肥料も昨年の後半からは入れていない畑ばかり・・・。中には、一昨年からそのようにしている畑もある。。。)
レタス群のゾーン。

春草とレタスは、それなりに共生しながら、育ってくれている。
肥料もなしで育ってくれるものはある。
(マルチ無しだから地温も上がらないのもあるだろう、生育スピードが遅い・・・。)
これまで草刈りは、たしか軽~く2回。
一回目は植え付け時に冬草を片付ける時。
2回目は、春草がレタスの背を越した時に、軽く野草の上部を刈り取った、たしか?
大根。

一回目の大根は、トンネルをしていた。
でも、きちんとトンネルを抑えていなかったし、春先の強風で何度もはがされた・・・。
一回だけ草取りをして、今は収穫期。
草は大根の葉っぱで抑えられている。。。
トマト。
春の野草が初夏となって枯れ始めている。
ナズナを刈り取った部分。
今までの草刈りといえば地面ぎりぎりでカットしていたのだが、少し高めの位置で刈り取った。
野菜の植え付けや生育のためには、邪魔にならない程度の刈り取りの必要がある。
高く刈ることで、まだその野草は生きている。
生きているということは、根が土の中に伸びているはずだ。
そしてまた、残った野草によって地面に光が届きにくくなり夏の野草の発芽を遅らせている。このことが、草で草を抑えるってことなのだろう・・・と思うようになった。
今までは、刈り取った草を置いておけばそれで地面をカバーするのかって思っていたが、それはやはり無理ってことは知っていた・・・。
なるほど、高く刈る意味の一つに、この次のシーズンの草の発芽を遅らせているのか、って今さらながら気が付いている。
セイタカアワダチソウ。
一度、軽く刈り取ったものから、わき目が繁殖を始めている。
別のセイタカアワダチソウを抜き取ってみた。
全てがそうではないが、多くが、このような直根である。
直根はきっと、硬盤層を貫いてくれるのではないのか?
だから、これが生える所はその土の硬盤層が硬いのでは?とか・・・、今そこにこの草が意味があって繁殖するのではないか?
なんとなく、そのように予想しながら。。。。
土の中に、根っこを多く繁殖させることが土の多様性を構築するのではないか?ということに着目している自分には、この高刈りの意味会いに自分なりに仮説を立てている。
植物は、上に伸びる分だけ根っこも伸ばす・・・ということを聞いたことがある。
でも、伸ばし放題では畑としての機能がなくなる。
しかし、作業に支障を感じない程度、あるいは野菜たちが育てばいい程度に野草を伸ばす(刈り取る)ことで、この根っこを多く残すことができるのではないか?
・・・・そんなことを観察しながら、野菜と野草の共生をできないか?と観察・実験中の今シーズン。
うまく書き示せない、やはり。。。
この流れは、やはり自分の体に染み込ませるしかないなあ・・・と、農業者として想っている。。。
この流れを知った上で、生産性を考慮した肥料や資材を必要最低限で使うことで、何らかの道筋が見える気がしている。
今までは、資材や肥料を使うことが前提条件だったが、その思考を逆にしたいし、できれば使わずに済む流れをつかみたいなあ・・・と思う。
僕が札幌でサラリーマンを辞めて山梨で農生活を始める時です。
「不退転の決意ですね。」
僕には他に選択肢がなくて仕方のない選択でしたが、
そんな言葉をいただきました。
価値観や生き方が変わる時には必ず過去の記憶にしがみつきがちです。
しかし不退転の想いというのはどんなにすがっても過去を取り戻すことはできない時のものですね。
そんなことを当時を振り返って思います。
徳永さんが今やろうとしていることは前人未踏なことです。
自然農も人類が畑を耕し始めて以来、数千年来はじめて行われている栽培です。
個人の記憶だけでなく、遺伝子に刷り込まれた記憶さえもすがることのできない栽培方法です。
そこにはそれなりの決意が必要だと思います。
きっと不退転の決意が必要なのかもしれません。
僕のその後は生活が旅となりました。
行き先の見えない流浪の旅です。
しかしどこか確信があります。
ゴールは見えずとも向かう道が正しいという確信を持っています。
そして少しずつ道は開かれ確信が確証に変わってきました。
きっとここに至るか至らざる引き返すかが分かれ道です。
旅のご無事をお祈りします。笑